辻村深月の作品は登場人物に必ず恋をする

 

 

わたしが最近専ら夢中になって読んでいる作家さんがいる。

 

 

 

 

本屋大賞を取ったことで記憶が新しい辻村深月

彼女の名前を知ったのはなぜだったかもう覚えていないけど、ずっと読みたいと思っていて、本屋大賞を取る少し前に「スロウハイツの神様」を読んだ。

 

というのも、辻村深月の小説にはどうも読んだほうがいい順番というものがあるらしく、いくつか辻村深月のファンの方たちのブログを読ませていただいたところ、スロウハイツの神様から読むのを薦める人が多かったからである。

 

 

 

この作品は、気丈でいつも完璧で、でもいじらしい、脚本家である赤羽環を主人公として、彼女がオーナーである「スロウハイツ」(これは環が名前をつけたものなのだが、この由来にも泣かされた)に、それぞれの分野でクリエイターを目指す若者たちが同居する家を舞台としたストーリーだ。

 

 

 

 

 

中でも、わたしが(多分みんな好きになるだろうが)恋をしたのは、天才作家であるチヨダコーキことコウちゃんだ。

彼が環に言う言葉で一番好きなのは、

「環の話に出てくる登場人物は、たとえどんなにつらい時でもきちんとご飯を食べますね。裁判と裁判の間でも、お葬式の後でも、きちんと店屋物を取ったり、レストランに寄ったり。三度のご飯をきちんと食べる。――それが、僕はとてもいいと思う」

 

 

これ!!!!!!

 

 

 

作品を読んでコウちゃんに恋をした人しかこの言葉は届かないかもしれないけれどそれでもわたしはこの台詞が好きだと声を大にして言いたい。

これを言われた環の気持ちを考えると更に泣ける。

 

 

 

 

 

そしてこの物語はなんといっても伏線の回収がすごい。上巻では少し飽きてしまうかもしれないけれど、そこを耐えて下巻まで読んでほしい。全て読み終えた時の余韻がもう止まらなかった。

 

 

 

 

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

 

 

 

 

 

 

 

そしてその後「鍵のない夢を見る」、「かがみの孤城」を読んだのだが、これについても書いていると長くなるのでまた書かせてほしい。

わたしが最も恋をした辻村深月のキャラクターの話をさせてほしい。

 

 

 

 

子どもたちは夜と遊ぶ (上) (講談社文庫)

子どもたちは夜と遊ぶ (上) (講談社文庫)

 

 

 

この作品は本当に切ない。

人がたくさん殺される上に残虐な描写もあるので好き嫌いは別れるだろうが、わたしはこの物語の「木村浅葱」に恋をしてしまった。

 

 

 

 

 

浅葱は人をたくさん殺しているけど、わたしはどうしても彼を嫌いにならない。むしろ救われてほしいと思ってしまう。

 

 

 

 

 

浅葱が人間らしく悔しがって、ゴミ箱を蹴ってるところなんて見たらみんなみんな好きになってしまうと思う。抱きしめてあげたいけど浅葱はきっと月子だけにしかそれを許してくれないんだろうなぁ、なんて考えてしまうくらいにはわたしは浅葱に恋をした。

 

 

 

 

小さい頃に母から受けた虐待。施設に入ってからも、施設の子供に過酷ないじめを受けた浅葱。きっと浅葱みたいな「子供」はこの世界にたくさんいるんだろう。そう思うとやるせなくなる。

 

 

かがみの孤城もそうだったし、スロウハイツの神様の赤羽環もそうだったが、辻村深月の物語には子供の頃の多感な時期に辛い思いをしているキャラクターが多いと感じた。それは彼女が教育学部卒だからなのだろうか?

 

 

 

赤羽環や、かがみの孤城の子供たちは希望に溢れた未来が待っているが、浅葱に関しては、もっと子供の頃に救えてたら、と思ってしまう。そこがわたしが浅葱に肩入れしてしまう理由なのかもしれない。

 

 

 

 

 

とても残虐な描写が多いし、切なくなる「子供たちは夜と遊ぶ」だが、最後はやられた。幾分か救われる終わり方(わたしは好みだった)だし、これからも、月子がピンチのときにはきっと浅葱は来てくれる。

 

 

 

 

最後に、わたしが一番好きな浅葱の言葉を。

 

 

 

人間には誰でも、大好きで泣かせたくない存在が必要なんだって。

君が生きているというそれだけで、人生を投げずに、生きることに手を抜かずに済む人間が、この世の中のどこかにいるんだよ。不幸にならないで。